ワールドカップ 2002年日韓大会 静岡県勢メンバー

ワールドカップ

ワールドカップの各大会ごとの静岡県勢選手の選出状況と活躍の記録です。

今回は記念すべき2002年日韓大会です。

まずは基本スタメンとベンチメンバーを紹介します。

2002年日韓大会 基本スタメン※()内は出身・当時の所属チーム

GK

楢崎正剛(奈良県・名古屋グランパス)

DF

松田直樹(群馬県・横浜マリノス)

宮本恒靖(大阪府・ガンバ大阪)

中田浩二(滋賀県・鹿島アントラーズ)

MF

稲本潤一(鹿児島県・アーセナル)

戸田和幸(神奈川県・清水エスパルス)

明神智和(兵庫県・柏レイソル)

小野伸二(静岡県・フェイエノールト)

中田英寿(山梨県・パルマ)

FW

鈴木隆行(茨城県・鹿島アントラーズ)

柳沢敦 (富山県・鹿島アントラーズ)

ベンチメンバー

GK

川口能活(静岡県・横浜マリノス)

曽ヶ端準(茨城県・鹿島アントラーズ)

DF

秋田豊 (愛知県・鹿島アントラーズ)

森岡隆三(神奈川県・清水エスパルス)

MF

服部年宏(静岡県・ジュビロ磐田)

福西崇史(愛媛県・ジュビロ磐田)

市川大祐(静岡県・清水エスパルス)

三都主アレサンドロ(ブラジル・清水エスパルス)

小笠原満男(岩手県・鹿島アントラーズ)

森島寛晃(広島県・セレッソ大阪 ※東海第一高出)

FW

西澤明訓(静岡県・セレッソ大阪)   

中山雅史(静岡県・ジュビロ磐田)

静岡県勢選手の活躍

基本スタメンは県勢が1人と前回大会までと比べ、激減してしまっています・・・。

その貴重な1人はMF小野伸二(静岡県沼津市出身・清水商業・フェイエノールト)。本来トップ下などを主戦場とするゲームメイカーですが、絶対的な司令塔・中田英寿が君臨していたため、左ウィングバックとして起用されました。サイドバック的な働きではなく、サイドの起点として第2の司令塔として機能。初戦のベルギー戦の鈴木隆行の先制ゴールも、小野のフィードから生まれました。

ベンチメンバーですが、服部年宏(静岡県静岡市(旧清水市)出身・東海第一高・ジュビロ磐田)は、第2戦のロシア戦の75分に守備固めとして小野に代わって投入され、1-0の完封勝利に貢献しました。

市川大祐(静岡県静岡市(旧清水市)出身・清水エスパルスユース・清水エスパルス)は、初戦のベルギー戦にフル出場、第3戦のチュニジア戦では46分から途中出場、決勝T1回戦のトルコ戦も46分から途中出場(86分交代)と、準レギュラーとして活躍しました。特にチュニジア戦では特に躍動し、中田英寿の2点目をアシストしました。森島寛晃(広島県・東海第一高・セレッソ大阪)は、ベルギー戦の68分、チュニジア戦の46分、トルコ戦の86分にそれぞれ途中出場を果たし、チュニジア戦では値千金の先制ゴールを奪取。ジョーカーとして活躍しました。

その森島とセレッソで黄金コンビを築いていた西澤明訓(静岡県静岡市(旧清水市)出身・清水東高・セレッソ大阪)は決勝T1回戦のトルコ戦にフル出場。負傷明けの中で徹底マークに会い、本来のダイナミックなプレーは残念ながら見られませんでした。

サプライズの2大会連続の選出となった中山雅史(静岡県藤枝市(旧岡部町)出身・藤枝東高・ジュビロ磐田)は、第2戦のロシア戦に72分から途中出場。前線からボールを追い続けるハッスルプレーで服部同様勝利に貢献しました。

川口能活(静岡県富士市出身・清水商業高・横浜マリノス)は、今大会はライバル・楢崎正剛が正守護神となったため出場がありませんでした。

まとめ

GK

川口能活(出場なし)

MF

小野伸二(全4試合スタメン・内2試合フル出場)

服部年宏(1試合出場)

市川大祐(3試合出場・内1試合フル出場)

森島寛晃(3試合出場・1得点)

FW

西澤明訓(1試合フル出場)

中山雅史(1試合出場)

全体では、メンバー23名中7名が静岡県勢、スタメンでは11名中1名が静岡県勢と、1994年、1998年に比べだいぶ減ってしまいました。特にスタメンが小野だけというのは寂しいですね・・・。それでも選出メンバー23名の中で7名の最大勢力というのはすごいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました